2011年03月30日

『津波がきます!』アナウンス職員のお話です。写真は「クリスタル・ペーパーウェイト」です。

津波の来襲と高台への避難を最後まで呼び掛け続けました。

津波に押しつぶされた宮城県南三陸町で防災放送の担当職員だった遠藤未希さん。

いまだ安否が分かりません。

「しっかり頑張ったね。でも、何も命を張ってまで」。

いたわりと無念さに揺れる未希さんのお母さん。

秋に結婚式を控え、準備を進めていたそうです。

写真は今月退職をされる小学校の先生が今までお世話になった方々に感謝とお礼にと贈られました「クリスタル・ペーパーウェイト」になります。
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避難所に張り出された身元不明者、死亡者の特徴を書いた紙を指で追いながら、お母さんがつぶやいていました。

震災から2週間以上になります。

更新される情報も日に日に少なくなっていきます。

3階建ての防災対策庁舎は津波にのまれ、赤い鉄筋だけが無残に立ち尽くすのをテレビでみました。

3月11日、未希さんは2階で放送していました。

「6メートルの津波が来ます。避難してください」。

冷静で聞き取りやすい呼び掛けが何度も繰り返されたといいます。

海岸にいた両親にもその声は届いたそうです。

庁舎に残った職員約30人のうち助かったのは10人です。

未希さんは勤続4年目の昨年4月、危機管理課に配属されました。

昨年7月には婚姻届を提出し、今年9月の披露宴に向け楽しそうに準備していたといいます。

景勝地・松島のホテルを予約していたそうです。

「3月にはウエディングドレスの新作が出るの。お母さん一緒に見に行こうね」。

そう約束していました。

お母さんは「放送が途中で切れた」と知人に聞かされました。

最後のほうは声が震えていたといいます。

放送するのに精いっぱいで、逃げられなかったのでしょう。

どんなに怖かったでしょうか。

約1万7000人の町民のうち、約8000人の所在が不明で被害の全容は把握できていません。

それでも避難所へ逃げた女性の方は「あの放送でたくさんの人が助かった。町民のために最後まで責任を全うしてくれた」と話していました。

「未来の未に、希望の希」。

お母さんは娘の名前をそう説明しました。

壊滅した町には新しい電柱が立ち、がれきの間に道が通るようになりました。

少しずつですが、未来に向けて動き始めています。

今日もお読みいただきありがとうございました。<(_ _)>

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posted by ゲルちゃん at 17:10| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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